2013年5月10日金曜日

「私は皆のように、上手にできない…」という気持ちが湧いたとき

ゴールデンウィークも終わり、リワークにも日常が戻って来ました。

リワークプログラムの一つとしてグループ作業があることは、その都度ブログで報告してきました。前回タウン誌を作ったことは、ご紹介しましたね。

その一方、リワークプログラムでは、各メンバーの皆さんが個人で表現したり、発表したりする機会があります。

これまで何度かご紹介してきたアートセラピーは、芸術的な創作に取り組むプログラムです。もちろん、アートセラピーもグループで取り組む作業です。グループコラージュやリレー小説のような共同作品も多々あります。
そして、それだけではなく、個人での絵画など、個人創作もたくさんあります。

CRESSでは、SSTというプログラムを行なっています。これは、社会技能訓練(Social Skill Training)といわれるもので、CRESSでは、職場でコミュニケーションが必要となる場面を設定し、メンバーの皆さんにロールプレイをしてもらっています。

また、個人プレゼンテーションというプログラムがあります。毎回、あるテーマを事前にお伝えして、そのテーマに沿って、各メンバーの皆さんにプレゼンテーションの準備をしてもらい、当日は皆の前で発表してもらうのです。


アートセラピーでは、いろいろな創作物にメンバーさんが集中して取り組まれ、作品として外に表現されたものを通じて、自己への気付きを重ねておられると思います。
そうした中で、「絵が下手なので、自分の作品が恥ずかしい」と不安な思いが語られることもあります。

最近のSSTでは、ロールプレイに参加されるメンバーさんの役への感情移入がとても強くなってきて、迫真のロールプレイが繰り広げられています。
そうした中で、「皆さん演技がとても上手で、私にはとてもそんな演技はできないから、出演する自信が持てない」という声が出て来ました。

個人プレゼンテーションでは、回を重ねるにつれて、パワーポイントを習得されたり、しっかりと準備され、達成感を味わわれるメンバーさんが出てきました。
そうした中で、「人前でしゃべるのが苦手で、皆さんのような上手なプレゼンテーションが自分にはとてもできない」という気持ちが漏らされることも出て来ました。

このように、プログラムに熱心に取り組んでいる雰囲気が出来てくる一方で、もう一つの声が聞こえてくるようにもなったのです。

「私は皆のように、上手にできない…」という声が。

「上手に作品を作れない」、「上手にSSTの演技ができない」、「上手に個人プレゼンテーションができない」

そして、「上手にできない」という声には、「劣等感」という気持ちが添えられているようです。

劣等感を感じなくてはならないプログラムの日が迫ってくると、リワークへ行くのが辛くなり、プログラムの当日には、リワークをお休みしたくなる……

こういう率直な気持ちが、メンバーさんから語られるようにもなりました。


私は、こうした不安な気持ちがリワークの中でメンバーさんから言葉にされるようになったことそのものが、とても大切なことだと思います。
なぜなら、リワークを休みたくなるという気持ちそのものが、メンバーさんが職場におられたときに感じていた気持ちそのものだったかもしれないからです。
そうした不安を素直に表現することが、職場では難しかったと思うのです。
「上手にできない」、「劣等感を感じて苦しい」。そう感じている自分がいることを言葉にできることが、逆に、苦しいことや不快なことがあっても、そこに立ち止まれるようになることの、何よりも大切な一歩だと思います。

「上手にできない」という劣等感がメンバーの方たちから語られるようになって、私がもう一つ連想したことがあります。
それは、リワークプログラムの「卓球」です。
あるメンバーさんがフリートークのときに話された言葉が、忘れられません。その方は、こういう内容のことを言われました。

私は、卓球をやっても、ほとんど勝つことができない。以前の自分は、下手なこと、苦手なことは、劣等感を感じてしまって、やるのが苦痛だった。だから、リワークの卓球も下手だし、勝てないから、最初はすごく嫌だった。でも、やっていくうちに、勝敗云々よりも、卓球をすることそのものが、楽しく感じられるようになった。これまで苦手だと思って避けていたことにも、何か楽しさを感じられるかもしれない、と思った。そして実際にやってみると、そこには上手下手だけでは測れない、やり甲斐や面白さがあることを、何度か体験できるようになった。

そして、実際に、その方は、卓球を楽しんでいます。それは、その方の表情を見れば分かります。もちろん、負けて嬉しいはずがないでしょう。だから、負けた時は、本当にすごく悔しそうです。でも、その悔しさを味わうことも含めて、その方は、卓球という活動そのものを、楽しんでいるのです。
おそらく、その方は、卓球をしているときは、「上手い下手」、「勝ち負け」という価値とは違う場所に、立っておられるのでしょう。
そして、それは、卓球をしているメンバーの皆さんもそうだと、私には見えました。

卓球と、アートセラピーは、違うものでしょうか? 
卓球と、SSTは別物でしょうか? 個人プレゼンテーションは?
そして、卓球と、仕事は、違うのでしょうか?

もちろん、違うでしょう。
でも、同じものでもあると思うのです。

「上手下手で外から評価されるかもしれない不安」は、「上手下手で評価しなくてはならなくなっている自分自身がいる」ことでもあるように思います。そして、それは、劣等感を引き連れてくる。

でも、卓球をしているときのように、今やっていること(アートセラピー、SST、個人プレゼンテーション、そして仕事)そのものを、真剣な遊びのように、悔しさもやり甲斐も同時に素直に感じ、味わい、それを他者に表現することを恐れずに取り組むことができたら……。

卓球と仕事との距離は、確かに、遠いのかもしれない。
けれども、案外、近いのかもしれない。

「私は皆のように、上手にできない…」という素直な声が出る中で、卓球をしているメンバーの皆さんの笑顔を見て、そう思いました。










2 件のコメント:

  1. 人生のうちで勝ち負けにこだわる勝負の時は
    思ったほど少ないのでは無いかとこの内容をみて思いました
    少なくても僕の人生のうちで負けて得られる事は沢山あったと思います
    勿論勝ちたい気持ちはとても大切で向上心の源の一つと思いますのでこれを否定する事では無いです
    失敗して恥ずかしいシーンは皆の緊張をほぐす良い潤滑剤になることも多々あり、結果としては成功だった場合もありますので成功、失敗、挑戦、成長などの自分の人生をひっくるめて楽しめる事が何かあると思います

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  2. YOSSY様
    考えさせてもらえるコメントを、ありがとうございました。
    YOSSYさんが言われたように、そのときは「失敗した…」と思ったことが、あとで振り返ったときに、「あれは、結果として成功だった」と(無理な合理化ではなく)心から思い至ることが、確かにあるように思えます。
    そう思えるようになるには、きっとその渦中では苦しい経験をしながらも、その方が真剣に学んで生きていた時間があったからなのだろうな、と思います。
    それは、その人が成長したことなのだろうと思いました。

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