2022年12月26日月曜日

今年の一文字

2022年もあとわずかとなりました。皆さんにとって今年はどのような一年でしたでしょうか。既に毎年恒例の清水寺での今年の漢字が発表されています。今年は、「戦」とかいて「せん」との発表でした。ウクライナでの戦いを始め、サッカーW杯での健闘など、様々な世相の意味合いをこの一文字に込めて滴められていました。

 リワークでも一年最後の自己分析では、メンバーの皆さんに一年を振り返った自分にぴったりくる文字を考えてもらいます。一文字に限らず、今年一年の自分を見つめ直すことで浮かび上がってくる文字をいくつか挙げてお話される方もおられます。全員で自分の文字を紹介しあって、それにまつわる気持ちをお話いただくと、様々な文字が選ばれて、千差万別な意見をお聴きすることができます。その中で、同じ字を選びながらも、全く違う角度からその字を選んでおられたり、字へのイメージが正反対であったりする驚きがあったり、逆に、全く違う字を選んでおられる数名が、お話を聞いていると、どこか深い部分で共通の想いが語られているなあと感じる発表もたくさんありました。

 メンバーの皆さんもそういった想いのつながりを感じておられたのではないかと思います。

私も皆さんが一文字を選ばれている気持ちを体験してみようと、自分自身の一文字を探してみたのですが、なかなか一年の自分を象徴する字を選ぶのは難しいなあと、皆さんがいかに毎日リワークで心のエネルギーを使って自分自身に向かわれているのか・・・を実感しました。

いろいろな字が浮かんでは消え浮かんでは消え・・・していましたが、犬の散歩をしながら道祖神やお地蔵様を前にしながら、ふと「祈」という文字を思い浮かびました。毎日、散歩しながら今年も一年通る度に、あれやこれやお地蔵様たちに勝手な願いや懺悔をしてきたなあ・・・と思い出しました。

 不思議なことに、ずっと祈り続けてきましたが、振り返ると祈りの内容が非常に変化していることに気がつかされました。葛藤の真っ只中にいる時の祈り、少し渦中から浮き上がりいろいろ見えて来た時の祈り、祈りはどこか感謝であったり、自分への励ましであったり、戒めであったり・・・いろいろにその時その時の自分の心境で変化しながら、お地蔵様の微笑みを借りながら自分との対話をしていたのだな・・・と今年の一文字を考えながら気付かされました。


 リワークでの心の作業は、現実で忙しくし過ぎていると、気づかぬまま通り過ぎてしまいおざなりになりがちな気持ちに向き合う作業です。1人ではないということが、そういった心のエネルギーのいる作業に取り組む後押しとなるのだなと感じました。


 皆さんが来年どのような一文字を選べれるのか・・・

皆さんにとって良き一年となりますようお祈り致します。

2022年12月17日土曜日

今年もあと少し。

 気が付けば師走…という事で今年もあと2週間となりました。どおりで寒いはずですね。この時期になると急に焦り、時間に追われている感覚に陥るのは私だけでしょうか?皆さんは何かやり残したこと、気になったままの事などはありませんか?


 リワークには個人プレゼンというプログラムがあります。月に一度、あるテーマに沿ってイメージすることを5分の内容にまとめ発表して頂きます。今月は“2022年の私”というテーマでした。かなり大きなテーマですし、普通に考えても1年をたったの5分にまとめるなんてとても難しい課題だと思います。またリワークメンバーにとって過去を振り返るという事は、休職経験を振り返ることでもありますから、自ずと厳しい作業になるのです。今年は多くの方が休職とリワークについて触れ、それぞれの経験してきたこと、今経験していることについて真剣に正直に話してくださいました。このテーマをきっかけに過去を振り返り、そして今の自分に繋げようとされているのが伝わり、5分に詰められた言葉の重さ、その人の一年の重さを感じました。メンバーの方々も話せたこと、聞けたことでまたお互いの距離が縮まった感覚があったのではないかと思います。自分の辛い経験を振り返り、それを他人に話すこと、これは大変にしんどい、怖いことだと思います。容易なことではありません。ただ話すことで少し気持ちが楽になったり、誰かが自分を知り理解してくれたという安心感を持てることもあると思います。今このブログを読んで頂いている方の中で、一人で悩むことに疲れていたり、自分の辛さなんて誰にもわからないと孤独を感じている方、ぜひリワークの参加を考えてみてください。決して楽しいことばかりではありませんが、あなたの悩みを一緒に考えようとする人たちがいます。状況は違えど同じ休職という経験を持つメンバーと一緒にこれまでのこと、これからのことを考えてみませんか?


 2022年もあと2週間!もう静かに心穏やかに過ごすのみです…。大掃除…。

2022年12月1日木曜日

“ことば”を使うこと

 黄や赤のきれいに色づいた葉が、はらりはらりと落ちていく様を見ていると、冬の訪れを実感しますね。あんなに暑かった夏が遠い記憶になりつつありますが、皆さまは季節のかわりをどんな風に感じておられますか?

 

今回は、言葉を使うこと、相手に言葉を用いて何かを伝えることについて、最近私が感じたことを書きたいと思います。

 

リワークでは、自分の思いや意見を他者に伝えることを目標に取り組まれている方がいます。それは、休職に至った経緯の中で、相談できなかった自分や、一人で抱え込んでいた自分がいたことに気づかれたからこそだと思います。

他者とコミュニケーションを取ろうと思う気持ちの中には、再発を予防につながるという考えなど、メンバーさんによって、いろいろな目的があると思います。

また、目標を立てて、実際に思いを言語化することに挑戦されている方や、ノンバーバルでのコミュニケーションに頼らず、言葉を使うことを意識されている方の姿を見ることがたくさんあります。

そして、伝えて良かったと安堵している方、言葉にしようと思うけれど、何だか怖くて言葉にできなかった・・・と反省されている方の姿も見られます。

言葉を用いて相手に思いを伝えることに、不安や怖さを感じることは、自然な心の動きでもあると思います。

一方で、怖い・不安ということにとらわれてしまい、相手に思いを伝えることの楽しさや嬉しさを忘れているようにも、私は感じています。

 

私事ですが、言葉を覚えたての小さなこどもが言葉を用いてコミュニケーションをはかろうとする姿を見る機会が増えました。

 

言葉を覚えたての小さな子は、熱心にかつ率直に言葉を使って、思いを表現してくれます。

例えば、朝には必ず「おはよー!」と言いながら駆け寄ってきたり、できないと困ったことを「やってー!」と全力で訴えたり。時には、欲しいものを「ちょうだい」と言ったり、嫌なことには「いやー!」とはっきりと言ったりします。躊躇いなく、言葉を使う姿に感心するばかりです(嫌とはっきりと言われると困ることもありますが)。

そして、「いやー!」ということに、「あらら、嫌なんか〜」と応えると、満足そうにしますし、嬉しかったことや欲しいものを伝えて、それが叶った時には、とても嬉しそうにします。

伝わったという感覚があるからでしょうか、何かがあると、積極的に言葉を使って、自分の意思を伝えようとします。

 

こういった小さな子の姿は、私にとって、「自分の思いを他者に伝えることは、そんなに怖いことではないのかもしれない」と思わせてくれる姿でした。

 

他者に思いを伝えることに、怖さや不安を感じることは、いろいろと考えることがあるからこそ、言葉を使って他者に伝えることをためらう気持ちも出てくるのだと思います。それはとても大切なことです。ただ、ためらう気持ちは自然ですが、伝えるべき時に、自分だけのものにしたり、言葉を使わずに終わったりしてしまうだけでは、なんだか勿体ないなと、思わせてくれたのも、小さなこどもの姿でした。

 

私も今日あった何気ない出来事を誰かに伝えたいと感じたり、悩んでいることを誰かに(私の中では明確に思い浮かべている人がいますが)伝えよう、相談しようと思っています。