2022年6月24日金曜日

コミュニケーションの中の自分とは

今回のブログでは『コミュニケーションの中の自分』について、少しお話ししたいと思います。

 

先日、心理教育というプログラムでコミュニケーションについて現在、リワークに在籍されているメンバーにお話しする機会がありました。

コミュニケーションと聞くと、言葉でのやりとりをイメージされる方が多いかもしれません。しかし、言語的なやりとりだけではなく、発信する際の声のトーンや空気感など非言語的なやりとりも含めて、コミュニケーションと考えます。発信者だけではなく、受信者の反応もそこで起こっているコミュニケーションの要素となっている、つまり、お互いのあり方がコミュニケーションには反映されているということです。

 

自己分析というプログラムでも、コミュニケーションについて触れる機会がありました。自分のコミュニケーションのあり方も含んでいる、『苦手な人とのつきあい方』というテーマをメンバーに考えてもらったのです。自分が相手をどう苦手だと見ていて、苦手だという思いがどのような自分のあり方に反映されているのかということです。相手との交流で、自分が今以上に苦痛な思いをしたくないと、必要最低限の対応で収める方も居れば、相手の良い面を知るために、あえて積極的に関わっていくという方も居ました。様々なコミュニケーションの形を共有すると、改めて、コミュニケーションというのは、非常に個性のあるものだと認識できました。

 

リワークでは、上記2つのプログラムのみではなく、自分の復職に繋がるさまざまなコミュニケーションにメンバーが日々、意欲を持って取り組んでいます。

 

コミュニケーションというのは、私たちの生活の中に常にあるものです。相手は家族や友人、職場の人が思い浮かべやすいかもしれません。しかし、もっと色々な人とも実はコミュニケーションをしているのです。見知らぬ人同士でも起こります。例えば、狭い道で自分の正面から人が来た時に、道を譲るのか、そのまま突っ込むのか。電車内で自分は座っていたとして、立っている人が目の前に来た時に、スペースをもっと詰めるのか、詰めないのか。落し物をした人に直接声をかけるのか、交番に届けるのか、そのまま見て見ぬふりをするのか…こうして見ると、コミュニケーションの幅というのはとても広く、自分の個性がよく表れていると感じることができるのではないでしょうか。つまり、人との関わりの中には、『自分』が居るのです。

 

このブログを読んでいる皆さんが改めて、コミュニケーションを振り返る時、

そこにはどんな『自分』が存在していますか?

2022年6月9日木曜日

 今年も少し遅れて梅雨入りが近づいています。梅雨の時期はじめじめして洗濯物もなかなか乾かないし、気持ちも晴れず、夏が待ち遠しい気持ちになる人が多いでしょう。でも、リワークでは参加するうちに、メンバーの多くが、そんな雨への気持ちはいろいろな気持ちの中の一つに過ぎないと感じるようになるかもしれません。

 というのも「雨」に限らず、リワークでは様々な物事について、プログラムで多角的に分析したり、語り合ったりして、自分以外の人の感じ方や考えを知る機会に多く出くわすからです。

先日も「個人プレゼン」というリワークのプログラムで「雨」というテーマでメンバーの皆さんが思い思いの発表をされていました。「個人プレゼン」では、メンバー全員が決められた同じテーマで一人5分の発表をします。その発表を聞いて、メンバーどうし感想を伝え合うのです。発表時間とテーマ以外、発表の形式や内容は自由です。

誰にでも平等に降り注いでいる「雨」というシンプルなテーマであればあるほど、イメージも、連想も千差万別、十人十色の「雨」が語られます。

 音楽を想い浮かべて紹介する人、映画や文学作品を通してお話される人、趣味との関連でお話される人、自分の体験や想い出からお話される人・・・。ネガティブな面、ポジティブな面、情報中心の人、思いや考えを話す人、どれもが「雨」という鏡で自分を映し出して自分を眺める作業なのだなと感じます。雨を自分の心情とつなげて「雨降って地固まる」「止まない雨はない」とお話される言葉には、雨からの滋養をメンバー皆にも伝えようという見えない想いも感じられました。

「雨」という一つのことばを、一人ひとりが発表することで、その発表そのものが、その場にいるメンバー同士の心の交流となっていることを感じた時間でした。

自分のプレゼンが誰かの心に届いた感触はどうだったでしょうか。

「雨」が降る度に、語られた様々なことばが浮かぶのだろうなと思うと、もうすぐ始まる今年の梅雨も少しは楽しめるかもしれませんね。