2022年9月16日金曜日

自分にとっての秋

前回の投稿に続きますが、秋を取り上げて、ブログを更新していきたいと思います。


街並み、気温や香り(金木犀の香りが代表的ですが、今年はまだ出会えていません)といった変化を足音にして、秋という季節の訪れを感じることができるようになってきましたが、皆さんは『秋』と聞いて、どんなことが頭に浮かびますか?

 

私は、夏に青々としていた葉が、黄色や赤色と姿を変えて、秋の涼しい風に撫でられて、乾いた音を立てている様子が頭に浮かびました。それぞれの葉に、ほんの少し緑色が混じり、夏の名残を感じさせながら、次の季節へとゆっくりと向かっていく。風に撫でられ、同じ茂みの仲間と離されて地面へと落ちる葉や、茂みを色付ける仕事を成し遂げる葉がいる。葉は一見すると、全て同じように見えるけれど、どれも違う体験を持っている。1枚の葉を手にとって、丁寧にじっくりと見ていけば、それぞれのストーリーが存在していることに気が付きます。

 

それは私たちも同じです。私たちは、それぞれ違います。多くの人が秋という1つの季節を共有しながらも、感じることはそれぞれにあるでしょう。もちろん、秋に限ったことではありません。何を感じているのか、どんなストーリーを持っているのか、知りたいと思った時、初めて得られるものがあります。リワークに参加されているメンバーさんは、『知ること』に日々、取り組まれています。休職に至った自分のこと、リワークに参加している今の自分のこと、同じリワークのメンバーのこと、職場のこと、家族のこと…ここには書ききれないほど、たくさんの『知ること』に取り組まれています。『知ること』に取り組むことで、自分のストーリーを読み、綴る。その作業を繰り返し、ストーリーが厚さを増し、豊かなものへと変わっていくのです。

 

読書の秋という言葉もありますが、今年の秋は、自分のストーリーを読んでみる、知ってみるというのもひとつではないでしょうか。秋は実りの季節です。自分を知ることが皆さんの実りへと繋がりますように。

 

2022年9月5日月曜日

秋のひと時

  まだ暑さは残りますが、ようやく秋の気配が感じられるようになりました。      

秋といえば皆さんそれぞれ、夏とは違った楽しみや、癒やしが想い浮かぶのではいかと思います。我が家はどうも食欲の秋に傾きがちなようで・・・。

 先日、「グレーテルのかまど」というお菓子作りの番組で、なんとも宝石のように美しいフルーツサンドを特集していました。その美しさに、珍しく子どもも手作りしたい気持ちに掻き立てられたらしく、早速果物とクリームを買い込みました。見たとおりに再現し、美しいフルーツサンドができ、私も子どもも大満足。ところが、せっかくできたフルーツサンドですが、出された瞬間は皆とても楽しい気持ちになるのですが、食べ始めるとボリュームが多すぎて2〜3口でお腹いっぱいになり、無残にも途中で食べ残されてしまっていました。

 普段ならその残骸を見て、せっかく作ったのに・・・と何か恨み言を言ってしまいそうなのですが、作った本人が満足そうにご機嫌でいるのを見ると、なぜかそんな気持ちもすっと消えてしまいました。そんな様子を見ていると、作ったことで心が満たされ、いろいろな事はどうでもよいのだなと感じました。  私も、いつになく既のところで余計なことを言って、皆の心の満足を帳消しにしなくて済んだのは、私自身フルーツサンドを作ることで十分楽しみを得られていたからなのかな〜と感じました。私の感覚ではどうしても、フードロスや食べ物を残してしまう罪悪感が起きてしまうのですが、正しいことに囚われ過ぎて皆の楽しんでいる気持ちを潰さなくてよかったと思えた瞬間でした。

 ふと、以前に料理家の土井勝さんがおにぎりの特集をしていた時に、米を丹念に洗うことで、美味しいおにぎりが出来ると伝えた時、アシスタントの方がお米の栄養が取れてしまいませんか?とたずね、土居さんが、今の時代お米で栄養を摂らなければならない時代ではないので、そこにこだわらずに美味しいことを追求してもいいんじゃない?とやりとりしていたのを思い出し、時代や、その環境が変化してきた多様化の求められる現在、何が今ここにいる自分と相手にとって大切にできるとよいのか・・・自由度が広い分、柔らかい頭が必要だなと感じました。それは楽しくもあり、難しくもあるものだなあと感じた秋の一時でした。皆さんもいろいろ秋を味わって見て下さい。