2020年7月30日木曜日

遊ぶこと

 じめじめとした日が続き、すっきりと晴れやかな空が恋しくなってきました。コロナもまだまだ猛威を奮っている中、雨による災害も各地で起こり、辛い思いをされている方がたくさんいらっしゃると思います。2020年は、不自由で窮屈で気が滅入ることが多いなと感じています。

 

 そんな気が滅入ることが多いからこそ、“遊ぶこと”や“遊び”について、少し触れてみたいと思います。また、7月の心理教育(リワークの担当スタッフである看護師や臨床心理士が、各自の専門性を背景に、一月に一回交代で講義を行うプログラム)でも、“遊ぶこと”をテーマに講義を行いました。

 

 さて、皆さんは遊ぶことと聞いて、どのようなことを思い浮かべられるでしょうか?リワークでも同じように投げかけてみると、皆さん様々かつ豊富に意見を出して下さいました。

 

 ここで私が取り上げたい“遊ぶこと”は、小児科医でも、精神分析家でもあるD.ウィニコットの考えを元にしたものです。

 

 ウィニコットは、子どもの治療の豊富な経験から、「治療というのは、遊べない状況から遊べる状況にすること」だと述べています。また、遊びの中には、「創造性が含まれ、もう一人の自分をのびのびと自由に表現することだ」とも述べています。

 

 “創造性が含まれ、のびのびと自由に表現すること”という点に着目して、こういった視点がどのような時に活躍しているか…について考えてみます。例えば、何か思い通りにいかないときやストレスが溜まったとき、遊ぶことを通して欲求不満状態に持ち堪えることが可能になると考えます。

 一つ例を挙げてみると…

 コロナウイルスの感染が拡大し、4月に緊急事態宣言が出されていました。自宅での自粛生活が求められ、外出して気分転換したり、知人と会って気晴らしをしたりが出来ない状況があったと思います。そんな時、星野源さんが、ある事を提案されました。約1分の弾き語りの動画に、“うちで踊ろう”とハッシュタグを付けて、SNSを通して皆に発信されることで、皆が自分なりの方法で映像を重ねていく場を作られたと思います。

 

 星野源さんのこういった行動は、いつもと違うような緊急事態が起こった時の欲求不満に対する遊ぶことを通した持ち堪える力だったと私は考えます。

 人から与えられるわけではなく、自分で“遊ぶ場”を作り、これまで普通に出来ていたことが制限されるという不自由な状況に対して、のびのびと自己表現をし、創作的に皆が楽しめる場を提供された事例だと思います。

 

 このように人が自然と持っている“遊ぶ”という力は、何か欲求不満な状況に陥った時に活躍してくれる力だな〜と、改めて実感していました。皆さんの中にある遊ぶ力ってどのようなものでしょうか?そしてどのような時に活躍しているでしょうか…?

 

2020年7月20日月曜日

今まで当たり前だったものがそうではなくなること 〜リワークプログラムの再開から思う〜

リワークプログラムCRESSは、新型コロナウィルスの影響で、4月7日から限定的な開催に移行していました。
集団を前提とした復職プログラムであるリワークの運営が、難しくなったためです。
この間には、集団プログラムを完全に停止した期間があります。
そして、リワークルームに入る人数を減らすために、各メンバーが週2回、各回あたり半日で参加する期間も設けました。
それが、半日ずつ毎日の開催にまで増やしていき、現在は通常の1日6時間の毎日開催に戻っています。

現在、週当たりの開催日数と時間は、新型コロナウィルスの前のリワークと同じになりました。

しかし、コロナ前と後で、リワークでは何かが大きく変わりました。
コロナ後には、リワークという環境の衛生面への配慮と注意が、それ以前には比較にならないくらい高まりました。
各メンバーにおいては、復職に向けて健康的な生活を目指すというこれまで共通目標に加えて、ウィルスを防御する生活の実現と維持が必要になりました。
コロナウィルス以後は、今まで当たり前だった生活様式や行動に対して、私たちは立ち止まって考え、判断する必要が生じたのです。

今の私たちにとっては、マスクをすることは、出勤のための服を着ることと同じくらいに必要になりました。
オンラインでの会議や、リモートでの仕事もそうです。

リワークもそうです。
お昼休みには、机をお互いにくっつけて、おしゃべりしながらご飯を食べる。コロナ前は、それは当たり前の光景でした。こうした自由な交流によって、大事な経験が生まれていました。この当たり前のようなお昼休みの時間があることで、メンバーの中から、なかなか皆と話せなかったり、グループは入れないという経験を持つメンバーが出てきます。それは居心地の悪い苦しい時間になったりします。CRESSでは、そういう経験も一緒に考えることで、そのメンバーが自分を知ることにつながると考えていました。

しかし、コロナ後のお昼休みは、食事の時間は会話をしない、という新しい行動が必要になりました。
交流が生まれる環境を作ることで、楽しくなったり、苦しくなったり、というそれまでのCRESSの昼休みではなくて、そもそも食事の時間は話さない、となってしまったのです。

リワークのプログラムもそうです。
今までだったら、当たり前のように机をお互いにくっつけて、近い距離で話し合ったり一緒に仕事をするプログラムに対して、立ち止まって考えなくてはいけなくなりました。
例えば、グループ作業というプログラムです。リワークの集団を職場の集団に見立てて決められた納期までにプロジェクトを完成させるプログラムです。グループ作業の成果物は、当院のホームページにもアップしています。
グループ作業では、リワークメンバーの中からリーダーなどの役職を選出して、組織を作ります。メンバー同志の関係が、仕事の関係になる時、そのメンバーの職場でのあり方が、グループ作業で表現されます。グループ作業の中で、人の話を聞かないで、自分の考えだけで仕事を進めるようなメンバーさんは、職場でもそういうメンバーさんだったのでしょう。そして、普段の対人関係の特徴も、そうなのでしょう。グループ作業の時間には、メンバー各自が持っている特徴が、特別はっきりと出てきます。「特別はっきり出てくる」ということの意味は、そのメンバーと一緒に仕事をしている相手の人が、そういう特徴を感じる、という意味です。「この人は全然、人の話を聞かないで、自分のやり方でドンドン進めるなあ。」と、一緒に働くことになったメンバーが、感じるのです。

コロナ前には、そういう近い距離での接触を前提としていたグループ作業も、コロナ後には、当たり前には出来なくなりました。
1日フルのリワークが再開した現在、それまでのグループ作業のやり方を見直して、近い距離に移動せずとも、グループでプロジェクトに取り組むにはどうしたらいいか、模索しています。

しかし、コロナによってプログラムの実施の仕方が変わっも、変わらないものがあります。
それは、そのメンバーが抱えているものです。
例えば、職場で取り組んでいるプロジェクトが曖昧模糊としていて理解できなくなると、不調になって欠席するようなメンバーは、リワークで同じような状況を経験したら、不調になる。
これは、変わらないそのメンバーの特徴です。
むしろコロナウィルスでリワークが限定的になっていた期間には、メンバー各自が抱えていた特徴が、見えにくくなっていたと言っていいでしょう。
現在、リワークに集団的な要素が徐々にではあれ、増えてきています。そうした時、これまでコロナウィルスの脅威によって見えにくくなっていた、自分自身の中の困った部分が、リワークの中で出てきている。
そういう風に、メンバーが経験できているかどうかに、私たちは注目しています。
リワークの中で出てきた自分の姿を、今とらえて、それを一緒に考えていきたいと思っています。